私がジブリ映画の中で一番好きなのが
天空の城ラピュタである。
テレビで放送する時はできる限り見ようと思っているが
なにしろ仕事が終わり
急いで家に帰ったとしても
だいたい最後の「バルス」って言っているところである。
どれだけ好きかと言うと
だいたいのセリフを言える。
そんな僕がひとつ心配に思っていることがある。
滅びの言葉の「バルス」
重大な事象を引き起こすのに単純すぎないか・・・と
もし飛行石を持った人が
部活に一生懸命の鈴木さんに恋をしたとして
告白する時
「私、一生懸命がんばる鈴木さんが好きです」と言ったときの
「がんばるすずきさん」の部分
ここで崩壊が始まってしまうじゃないか・・・
また、飛行石を持った人が
トイレをがまんしてなんとか家にたどりついたとき
玄関を開けようとしても開かない
家族の人がみんな留守だった時
「やば・・留守じゃん」と言ったとき
崩壊が始まりこの人は間違いなくもらしてしまうだろう・・・
と心配しながら見てしまうのだ。
終盤シータが
「私なぜラピュタが滅びたのかよくわかる」と語りだすシーンがある。
「どんなにおそろしい武器を持っても
たくさんのかわいそうなロボットを操っても
土から離れては生きられないのよ」
ここで、あのロボットを「かわいそう」と表現するところに
この物語の深さがあると思っているが
それよりなにより
ラピュタが滅んだのが実は
トイレを我慢してたのに、留守だった・・・
というのが理由だったらシータかわいそうだな・・・
とか考えてしまう。
(ラピュタはこのときまだ崩壊していないのでそれはないのだろうが)
というようにいろいろな妄想まで楽しめるほどのラピュタ好き
私も全国の皆さんとバルスといおうかな
テレビの前で
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